バブル期に3高という言葉が流行った。3高とは、「高収入」、「高学歴」、「高身長」のことだが、当時結婚したい理想の男性像を指した。如何に当時の世間が浮かれていた様子がこの言葉だけで分かる。
また、3Kという言葉も流行ったことがある。これは、3高とはまったく逆の意味で、「汚い」「きつい」「危険」の意味であり、主に工事現場や高所作業など肉体労働系の作業を指した。かつては人気職種であった新聞記者もこの範疇に入り、話題になった。
肉体労働などの仕事は現在でも軽視されがちである。この傾向は、普通の会社でも見られる。以前は女性社員の代名詞のようであった掃除やお茶汲み、コピーなどの非頭脳労働系の作業も、近年の女性の社会進出とともに、軽視・敬遠される作業になった。
こんな話もある。私の知人の話であるが、転勤で配属された支店で、お茶を飲もうとしていた若いOLに自分の分もお願いすると、あっさりと断られたという。しかも、彼女が専門職だからという理由でだ。お茶汲みは、事務職の女性にでもさせろと言っている訳である。
確かに、彼女の言い分も分からない訳ではない。会社も彼女を、事務ではなく、より専門的な仕事をさせるために採用しているのは明らかなことだ。また、自分の分はともかくとして他人のお茶汲みなど面白い仕事ではない。
しかし、お茶汲みにしろ、掃除にしろ、誰かがやらねばならない作業でもある。誰かがやってこそ、会社という組織が円滑に動くのである。清潔なオフィスは、会社にもクリーンなイメージをもたらすし、仕事の合間のお茶やコーヒーは、心身をリラックスさせ、集中して仕事ができるようになる。
人の嫌がる仕事は得てして、私たちの生活に密接し、重要かつ基本的なことが多い。
もし、みなさんが成功者たらんとしているのであれば、このような人の嫌がる仕事を率先して行うべきである。けだし、そのような仕事のお陰で多くの人の日常に潤いや快適さをもたらし、円滑な社会生活の基礎となっているからだ。つまり、そのような仕事を繰り返し行うことは、数え切れない徳を積むことになる。
また、人の嫌がる仕事は、人の上に立つ素養をも育む。そのような仕事をすることで、部下の気持ちや社会的弱者の気持ちが理解できるものである。
さらに、感謝の気持ちも生まれる。普段当たり前のように行われている作業を率先して行ってみることで、そのような作業を日常的に行っている人のお陰で、われわれの社会生活が成り立っていることに気づき、そのような人たちに感謝できるのである。
であれば、今日から人の嫌がる仕事を行うがいい。
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