大体の場合において、世に成功者と呼ばれている人は、パーティーなどでのスピーチが上手い。ちょっとしたジョークでその場を笑いで包み、和やかな雰囲気にしてしまう。これは有名な話だが、ある経済団体のパーティーで、巨大食品メーカーのオーナー会長がスピーチを始めた。列席者は「今日は何を言うのだろう」とワクワクしている。オーナー会長「え~死後の世界の話をします。あのよ~」会場は大爆笑である。パーティーが上首尾に運営されることは間違いない。話自体は落語の有名な枕だが、この人が言うから面白い。この場合は成功者だから笑いに誘うのが上手いというより、人徳ではあろう。
ただ現代社会において、嘆かわしいのは「笑い」とはほど遠い状況が蔓延していることだ。引きこもりがある。ニート(学校にも行かず職も持たず仕事探しもしない)がなんと約70万人もいる。ゲームやインターネットで遊び自己満足し自己完結する。他人との繋がりのない閉じた世界だ。なんとも心寒々しい現状である。昨今増大している少年犯罪や凶悪犯罪は、単に自分が気に入らなかったなど、一方的かつ自己中心的なものが多い。気持ちの持って行き場所がないのだ。自我を自分でコントロールできないのだ。
犯罪の殆どは自分を自分で追い詰めてしまうケースだ。人に話して笑い飛ばしてみれば、なんのことはない。私はこんなことで悩んでいたのかと気分爽快、解決してしまうことも少なくない。そういった意味でも、笑いの力というのは計り知れない。だが誰もが経験があることだろうが、自分に心のゆとりがないと、笑うことは不可能だ。真に腹の底から大笑いすることは、精神状態を正常かつ良好にし、人間関係(コミュニケーション)も円滑にしてくれるのだ。では、笑いを自分に周囲にもたらすには、どうすればいいのか。それは、自分を愛し、人を愛することだ。自分を愛せない者に、人を愛せと言っても無理な相談である。自分を愛せる者は必然的に、他人を愛することが可能なのだ。難しい話ではない。自分を愛するというと、自己耽美、ナルシズムを想起されるかも知れないが、そうではない。自分を愛するということは、感謝の念さえ生まれてくる、自他肯定の意識なのだ。
自分を愛するための方法として、「自己美点認識法」もひとつの手だ。自分の長所を100個、紙に書き出す。自分の良さを再発見でき、自信が持てるようになる。そしてその紙をポケットなどに入れて常に持ち歩き、自己重要感を高めておくのだ。そして、自分を尊敬することだ。自分の愛から発して他人を幸せに出来れば、それは徳を積むことにもなる。「この世の中で最も素晴らしいことのひとつは、他人の顔に笑いの表情をもたらすことだ」とのマホメットの言葉がある。これは、自分と相手の自己重要感を同時に高めることなのだ。とても徳深いことだ。
大ベストセラー「人を動かす」の著者、デール・カーネギーは「相手を腹の底から笑わせることが出来れば、友人になる道が開ける。相手が一緒になって笑うのは、いくらでもこちらが好きな証拠だ」と言っている。相手に好意を持ってもらうことは、成功の必要条件であることは言うまでもない。笑いは、愛と平和と成功をもたらす。
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