日本国憲法は第14条で法の下の平等を定めているが、人は生まれながらにして平等ではない。個人の才能などはいい例である。「天賦の才」などと言われるように生まれながらにして特定の才能に恵まれている人もいる。
運命も同じだ。過去世やご先祖様が積んだ業により、生まれながらに不遇の身や過酷な環境に生まれ落ちる人もあれば、ご先祖様の余徳などにより、恵まれた運命のもとに生まれる人もいる。この意味では、幸も不幸も生まれた時からある程度決まっている部分があると言えよう。
しかしだ。人間の運命はすべて生まれながらに決まっているわけではない。どんなに不幸な運命を背負って生まれてきたとしても、本人の努力次第でいくらでも変えられる。逆に、いかに恵まれた運命のもとに生まれたとしても、怠惰な生活を送れば、すべてが台無しとなる。
よく自分は生まれつきいかに不幸な運命を背負ってきたかとか、現在不幸なのは生まれつきの運命のためだなどと言う人がいる。
何と勝手な言い分か。私はそのような人の話を聞くと、ついこう思ってしまう。自分の努力不足を棚に上げ、すべての不幸を運命で説明してしまうなど傲慢とさえも思える。
しかも、あまりにネガティブな思考である。今の人生に不満があるならば変える努力をすればいいだけである。努力をするのが面倒臭かったり、馬鹿馬鹿しく感じるのであれば、高望みなどせずに、今の人生を受け入れればよいだけだ。
自分の背負った運命と、他人のそれを比較して、絶望したり嫉妬したりしても何も始まらないのだ。要は、スタートラインが人それぞれ異なるだけの話しである。人よりスタートラインが後ろにあると感じたならば、まずは人に並ぶ努力をすればいい。そして、人と並んだと感じたなら、次は追い抜く努力をすればいいのだ。
もっとも、ほとんどの人が生まれながらにハンデを背負っている。恵まれた運命のもとに生まれた人は少ないからだ。それは、何を示しているかと言えば、ほとんどの人は、自分の運命や人生を好転させるための努力が必要であるということだ。
その努力だが、やみくもに努力すれば運命や人生が好転するわけではない。みなさんの周りにも、いくら努力しても報われない人がいるだろう。努力するほど悪い方向に向かってしまう人すらいる。
何事にも定石というものがある。努力をするにもやみくもにではなく、真理に則した正しい理論に従い努力すべきである。そうすれば、たいていの努力はいつか実を結ぶ日が来るはずだ。
最後に今一度言う。自分の運命を嘆く暇があるのなら、それを跳ね返す努力をすればよい。ただし、真理に則った正しい努力をだ。
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