感動せよ。そして、感動させよ

最近、私が主宰するセミナーや講義で、受講生の方々を見て思うのだが、疲れた顔をされた方が実に多い。確かに、この未曾有の不景気である。仕事があるだけでもマシと、厳しいスケジュールで働いている社会人の方々も多々おられることだろう。そのような方々によく聞くことがある。最近、感動したかどうかだ。多くの人は、そのような心の余裕と時間的なゆとりはない旨答える。しかし、そのような答えを聞いたとき、私は疑問に思うことがある。今回は、感動することの重要性について述べていく。

前述の人たちは、感動する機会がなくなった理由を時間がなくて映画を観ていない、旅行に行っていないなどと説明する。

確かに、いままで行ったことのなかった場所、見たことなかったストーリーなどに触れた場合は、感動しやすいと言える。

しかし、感動するためには必ずしもそのような特別なことが必要ではない。

例えば、日本には素晴らしい四季がある。わざわざ、観光名所や名勝に行かなくても、季節の移り変わりを味わうことはできる。色づく花々や木々の新緑、真夏の太陽など少し自然に目を向けるだけで、簡単に堪能できるであろう。

また、感動は必ずしも、何かに対面した場合にのみ生まれる訳ではない。私は、以前ホームレスにまで身をやつしたことがある。その後、どうにかホームレスの生活から脱して、安アパートに住めるようになったのだが、その時、私は屋根や天井のある部屋に住めるようになったことにひどく感動した。築何十年というボロアパートだったが、もう夜露や雨の心配をしないですむと思えば、自然に涙が溢れてきた。十数年たった今でも、その頃を思いだすと泣けてくる。

皆さんも、謙虚になって思い出してほしい。初めて恋をしたときの感動。初めて給料を貰ったときの感動。初めて自分の子供が生まれたときの感動。色々とあるはずである。

感動が乏しいということは、贅沢になり感謝の気持ちが希薄になっている証拠でもある。以前、感謝行の講義で話したが、この意味でも当たり前のことに感謝できなければならない。すべてのものを大切にする心を持たなくてはならないのだ。

逆に言えば、どんなことにも感動できる人間というのは、それだけ徳が高い人間であると言える。

そして、日々どんなことにも感動できるようになったなら、次は、人に感動を与える人間になってほしい。人に感動を与える生き方、人に感動を与える接し方、感動という形で他人に影響を与える人間になってほしいのだ。

他人を感動させることは、自分が感動できる人間であることが前提であり、かつ徳が非常に高い人間しかできないことなのだ。

感動できる人間になれ、そして、感動を与える人間を目指せ。

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