言うまでもないことであるが、現在は飽食の時代である。バブルがはじけ、不況の嵐が吹き荒れているというのに、グルメ雑誌や番組で紹介された飲食店には客が殺到し、列をなしていることも珍しくはない。
さらに、コンビニやスーパーで、売れ残り廃棄される食料品の数も、バブル期とそう変わりはないという。世界にはまだまだ飢えに苦しむ人が多数いるというのに、まったくもって情けない限りである。
私をよく知る人はもうご存知のこととは思うが、私は食べ物をいたずらに残したり、必要以上に食すことに嫌悪感さえ感じる。日頃からの食べ物に対しての感謝の気持ちが、私をそうさせるのだ。
何度も言うが、私は一時はホームレスにまで、身を窶したことがある。大げさに聞こえるかもしれないが、本当に飢え死にするか心配になったのもこのときである。そのような体験が、億万長者と呼ばれるようになった現在に於いても、私の心に食べ物に対する感謝の気持ちを絶え間なく湧き起こさせるのであろう。
また、私は修行として断食を行うこともある。
断食は本来、祈願や精神修行のための伝統的な行法の一つであるが、最近ではダイエットや体内調整の一環として行われることも多い。
しかし、私が提唱する断食は祈願や精神修行を主たる目的とするものではない。もちろん、ダイエットのためでもない。
すなわち、断食をすれば、当然のことながら空腹感に襲われる。そして、断食後の食事はメニューを問わず、本当に美味しくいただけるものだ。その際、食物を口にできることが如何にありがたいことかが身にしみて実感できる。忘れていた食事に対する感謝の気持ちが湧き上がり、心の底から「食べられること」への言いようのない喜びを感じることができるのだ。
もうお分かりだと思うが、私が断食を勧める理由は、食物や食事に対する感謝の気持ちを養うことを主眼としている。断食には、肉体的な浄化や精神の強化、向上といった効果もあるが、基本的にはこれらは主たる目的ではない。
また、断食の方法も古来から伝わる数日間や数週間といった、素人が安易に行えば生命に危険すら及ぼすようなやり方ではない。一日の食事のうち一食だけ抜いてみるとか、慣れてくれば丸一日抜いてみるといった程度のものである。やってみれば分かると思うが、この程度の断食でも、食べ物に対する感謝の気持ちは、ふつふつと湧いてくるものである。
現在の豊かな食生活や生活リズムに染まりきったわれわれにとって、ささやかな断食でも、食べ物に対する感謝の気持ちは体感できるはずである。そして、食べ物などの当たり前と思っているものへの感謝こそが、すべての感謝の端緒となる。みなさんにも、一度断食を体験してみることを、お勧めする。
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