礼儀・礼節を全うせよ

最近、私が最も宥恕していることの一つに、礼儀・礼節の欠如がある。殊に、若者はともかくとして、三十代、四十代と社会の中核となるべき世代の礼儀・礼節の欠如は著しく、実に嘆かわしい限りである。

礼儀・礼節とは、相手に対する敬意の念が態度に表れたものである。もちろん、礼儀・礼節には敬意の念が伴っていない形式的な場合もある。いわゆる社交辞令というものである。だが、社交辞令といえども社会生活における潤滑油的な役割を果たしていることは疑いの余地はなく、軽んじていいというものではない。むしろ、できて当たり前の最低限度のルールやマナーと捉えるべきである。

それができていないのである。しかも、大の大人がである。特に、日本という国は伝統的に礼儀・礼節を重視してきた国だ。小学校でも国語や算数の時間を省き、わざわざ道徳の時間を設け、礼儀を教えている。誰でも、小学生の時に道徳の授業で礼儀の何たるかを学んだはずだ。

それがどうだ。社会に出て経験を積み、人によれば小学生の子どももいるにも拘わらず、礼儀や礼節を忘れてしまっている。これは、個人的に問題があることはもちろんであるが、ひいては日本人の国民性自体が疑われる由々しき事態というべきである。

言うまでもなかろうが、礼儀や礼節を欠くとデメリットだらけである。不快感を他人に与えるという、成功者にとって最も由々しき状況を作り出すだけなのだ。いくら人間ができていようとも、その人間性や常識が欠如していると推定されるのは明かである。つまり、相手方からすれば、人間失格ということである。これでは、成功者になれるわけがない。

他方で、礼儀や礼節を全うできれば、人間関係が円滑になること等メリットが多いことも、また言うに及ばないことである。

であれば、礼儀・礼節を尽くすよう今一度心がけるべきであるが、大切なのは、心の礼節を尽くすことである。言い換えれば、相手に対し、心の底から「ありがたい」との感謝の念を生じて、それを態度で表すことである。

この意味では、礼儀を尽くすことは感謝行とイコールと言える。すなわち、礼儀・礼節の根底には「ありがたい」という気持ちが隠れているのである。気持ち=感謝、身体=礼儀・礼節なのだ。

感謝行は毎日行っているが、礼儀ができていないという人は、そもそもこのことを理解していないと言えよう。当然、礼儀・礼節の欠如を棚に上げて、いくら感謝行に勤しもうとも感謝行の持つ本来の効果には享受し得ない。

結局、礼儀・礼節は、最も身近な感謝行であると言えるのだ。この講座を見ている人たちももう一度確認するがよい。自分が礼儀・礼節を全うできているかどうかを。

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