私のもとは、日々数え切れないほどの手紙が届く。内容は様々であり、私の教えに対する質問であったり、願望成就の感謝であったりもするが、その圧倒的多数は悩み事の相談である。中には、深刻な内容のものもあるが、その一方で、余りにも悩み事に捉われすぎ、必要以上に悩んでいる方もいる。確かに、性格的なものもあろうが、悩めばいいという訳ではない。今回は悩みについて話そう。
人間である以上、悩みはつきものである。人間関係、恋愛問題、仕事など悩みの対象は多岐に渡る。悩むこと自体は悪いことではない。苦難や試練は悩みなしには乗り越えることができない。これらに対して、悩まないということであれば、単に逃げているだけである。誰しも、大いに悩まなければならないときはあるのだ。
しかし、常に悩めばいいという訳でもない。大いに悩むべき問題と、そうではない問題があるのだ。悩むこと自体が無駄な場合もあるのだ。恋愛問題を例に挙げれば、ひどい振られ方をし、今後どう見ても脈がない場合などは、潔く諦めるべきである。どうしてこんな結果になったか反省はすべきであるが、その時点で、今更くよくよ悩んでも何の意味もない。要は、掘り下げて悩むべき問題か否かの見極めが大切なのである。
まず悩む前に、その問題が悩むことにより解決できる類のものかを判断することが肝要である。もちろんこの判断は、杓子定規的にはできない。自分が置かれている状況や能力、財力等をケースバイケースで総合的に考察し判断しなければならない。当然、その判断は主観的ではなく、客観的におこなわなければならない。
また、一種の開き直りも必要である。特に、悩みが複数ある場合などは、すべてをいっぺんに解決することは不可能である。かかる場合、優先順位が高く、かつ解決し得るものから取りかかるべきであり、他の悩みについては開き直ることが必要である。あれも、これもといった感じでは、悩みの解決に向けるエネルギーが分散してしまい、結局何も解決できなくなってしまうからだ。
さらに、自分より不幸な人たちと比較するのも一つの手である。例えば、外国の食料や水にも事欠いている人々は、生きるか死ぬかの境界線にいる状況である。そのような生死の境にいる人々に比べれば、自分の悩みなど大したものではないと思えるだろう。これで、悩みは悩みでなくなるわけだ。つまり、もっと不幸な人々を見ることで、悩みは軽減されたのだ。
とにかく悩むべき問題は大いに悩むがいい。但し、深く悩むに値しない瑣末な問題をいつまでも、くよくよと悩んでいてはならない。一人ひとりに与えられた時間は有限であり、極力有効に使わなければならないからだ。
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