汚さ、弱さを受け入れろ

私はよく会員のみなさんと交流する機会を持つが、そういう場合、私はきれいごとや建前抜きでできるだけ本音で話すことにしている。きれいごとや建前が多くては話のポイントが外れることもあり、相手にとって必ずしもベストとは言えないからだ。

しかし反面で、会員のみなさんも必要以上に取り繕ってしまう場合が多々ある。相手が私ということで必要以上に気を使っているということも原因に挙げられるが、主たる原因は他にある。

思うに、みなさんの多くは、未だに人間の弱い部分や汚い部分から目をそらしているようである。だから他人と会話する際にも、徒に取り繕ってしまい、結果本音で議論をぶつけ合えないのだ。

人間は誰にでも弱い部分や汚い部分がある。嫉妬、強欲、狡猾、見栄っ張り、計算高さ、弱気、自分勝手など挙げればきりがない。無論、私も古の聖人君主の如き人間ではなく、これまでも自分の欠点や短所に大いに悩み、そして克服してきた。

しかしである。まずは、自分にはかかる弱点や汚点があるということを受け入れなければならない。体裁を気にして取り繕ってしまっては、実のある議論やアドバイスは望めないのである。

どんな人間でも、美しい点や清らかな点はあろう。このような清らかな面と醜い面との清濁の交わりこそ、普通の人間の在り方なのである。

人間的に汚い部分があったとしても、それは文字通り汚いわけではなく、むしろ人間らしさでもあるのだ。また、臭いものには蓋をするが如く目をそらしていても、決して克服はない。だから、臆することなく、受け入れるがいい。

またこの考え方は、他人と接する場合にも当てはまる。つまり、誰しも人間的に弱い面や汚い面を持っているのである。そういう所を事細かにかいつまんで、他人を非難してはならない。ただし、他人事だからといって、放置しておくべきでもない。

このバランスの取り方が難しいのだが、少なくとも、家族や親友といった自分が大切だと思う人たちのためには、改善や矯正のために手を差し出してあげるべきである。

もちろん、それは大変なことである。誰しも、他人から自分の短所や欠点を指摘されることは面白くない。見て見ぬふりをする方が、気が楽かもしれない。

しかし、それでは本人の進化・向上は望めない。時間がかかるかもしれないが、慎重に本人に自身の短所や欠点を知らしめてあげるのが、本当の思いやりであり、本物の家族や友というものだ。

自分自身だけではなく、周囲の大切な人たちとともに進化・向上することを常日頃から意識するがいい。

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