最近新聞やニュースでよく読む記事で、かつ非常に心が痛むのが子どもの親殺しや、親の子殺しである。酒乱でどうしようもない父親、病気がちな母親、障害をもった親など、肉親を殺害する以上、当事者としてみては深刻な事情があると思う。だが、それにしても安易に命を奪いすぎである。しかも、血を分けた親や子どもである。
わが国の刑法にはつい最近まで尊属殺人罪という規定があり、刑罰も死刑か無期懲役のみと、従来の殺人罪に比べても非常に重いものであった。この規定は、子どもは親を敬うべきものという日本古来の伝統的な風潮に鑑み、これを維持するため厳罰をもって規定していたものである。かかる風潮を厳罰をもって維持すべきであったか否かについての議論については他に譲るが、私は子どもが親を敬うべきことは言うまでもないことであると考える。
地球上に生命が誕生してからおよそ三十億年たち、人類も類人猿や原人という過程を経て現在に至っている。その間、脈々と生命が受け継がれてきた。その命のリレーともいえる生命の継承において、ご先祖様の誰かが欠けても今のあなたは存在しないのである。もちろん、あなたの両親が欠けてもだ。
この事実だけに鑑みても、両親には感謝し、敬わなければなるまい。確かに、両親とは長年の付き合いである。何らかの確執があってもやむを得まい。中には、自分の親はひどい親だと思っている人もいるであろう。
しかし、「親の心子知らず」と言われるように、自分が親の立場になって初めて当時の親の気持ちが分かる場合もある。
また、私のもとに来る相談の手紙にも、「親が私をこう育てた、だから私はダメになった」とか、「親がこう育ててくれれば、私はこんなにも苦労しなかった」という類のものがみられる。
確かに、あなたが聖人君主でないのと同様に、あなたの親もそうではないだろう。結果論的に言えば、当時の親の判断は間違っていたのかもしれない。間違ってはいないまでも、もっと良い選択肢があったのかもしれない。
だが、敢えて子どもの不幸を願って行為する親などいないはずだ。その当時は、子どもの幸せを願い、よかれと判断したに違いない。事後的にそのことを責めてはいけないのである。また、責めたり、後悔しても何も意味はない。むしろ、それを受け入れる度量を有してほしい。重要なのは、自分でどうするかということである。もし、自分の両親の育て方に不満があれば、自分の子どもの育て方に反映すればいい。
いずれにせよ両親は大切にしなければならない。ずっと両親が健在な保証はない。少なくとも親孝行は、あなたのご両親が、生きているうちにしかできないのである。このことを肝に銘じてほしい。
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